旧PROMINENCE3年 和訳[303]

【プロミネンス3年】Lesson8/Breakthroughs in Japanese Agribusiness【和訳】

このページではプロミネンス・コミュニケーション英語3年/Leeson8【Breakthroughs in Japanese Agribusiness】の和訳を載せていますが、学校で習う表現と異なる場合がありますので、参考程度に見てください。

【PROMINENCE1】Lesson8/Breakthroughs in Japanese Agribusiness【和訳】

Part1

農業者や農業企業者の注目の的になり続けている新しいビジネスモデルがあります。

毎年、農業者から自治体まで5000人以上の人が、視察のために和郷園わごうえんを訪れます。

和郷園は農業組合法人です。この会社は、千葉県の若い農業者を中心に構成されています。

和郷園の総収入は50億円以上です。



Part2

訪れる人たちが和郷園から学びたいと思っている、3つのうまくいっている特徴があります。

第1の特徴は、和郷園の販売ルートです。ほとんどの日本の農業者は、自分たちの生産物の価格を決めることができません。

というのは、農業者は、生産物を全国農業協同組合(農協)か他の大量販売のスーパーマーケットに出荷し、そこで、他の人が価格を決めることになるからです。

ですから、生産物が供給過剰のときには、農業者は価格調整のために自分たちの生産物を処分する必要があります。

そうしないと、価格がとても大きく下落して、その生産物の収入では暮らしていけなくなります。

輸入された食料品との競争という困難と相まって、こうした価格決定の仕組みのせいで、農業者が利益を上げることが難しくなってきています。

こうした問題を克服するために、和郷園は、約90軒のメンバーの農業者から野菜や果物約50品目を購入し、直接、契約スーパーやレストランに販売しています。

こうすることによって、和郷園は、お客さんの必要性に生産物を合わせることができ、大幅に経費を削減できるのです。

言い換えると、自分たち独自の販売ルートを持つことで、和郷園は市場志向のビジネスを行っているのです。

これは農業では、まれなことです。

ほとんどの農業者は、市場にあまり注意を払わないで、自分たちの作りたい作物を作っています。

Part3

もう一つの特徴は、和郷園独自のリサイクルシステムです。食品加工と牧場から出る廃棄物を肥料として再利用しています。

さらに、こうしたリサイクルの過程で発生するメタンガスは、電気やフォークリフトに利用されます。

「私たちは最先端のシステムは、まったく採用していません。

より現代的なカタチで、伝統的な方法に従っているだけなんです。

日本の農業者は、牛や豚の排せつ物を落ち葉と一緒に混ぜて肥料として使っていたものでした。

私たちの存在すべてが、自然の摂理に依存しているのです。

日本は、土壌を肥沃にしてくれる四季のある自然に恵まれています。

私たちは自然と調和して働いているだけなのです」と、和郷園の代表理事の木内博一さんは言います。



Part4

消費者が生産物の安全性をチェックできるトレーサビリティが、第3の特徴です。

和郷園は、お客さんに示すために、農業者が使用した肥料と農薬のデータベースを持っています。

このことは、もし安全性に関して消費者の不安がある場合には、和郷園が自分たちの生産物に付加価値をつけることができるということを立証しています。

海外の市場も考えに入れています。和郷園は、すでにタイに農園を持っています。

というのは、おいしくて安全な食べ物に対する世界の市場は、ますます拡大していくだろうと、和郷園は信じているからです。

Part5

「たくさんの日本の人が、農業を古い産業だと考えていますが、食べ物を作る価値は決して下がるはずがありません。

人は食べ物がないと生きてはいけませんし、食べ物は健康と密接につながっています。

日本の農業は効率性、生産性、安全性を高いレベルで達成してきていますから、こうしたものを使って世界に貢献できるんです」と、木内さんは主張しています。

Part6

ビジネス評論家が注目してきている、もう1つの優れた農業ビジネスモデルは、山形県酒田市の平田牧場です。

新田嘉一さんとお子さんが、平田牧場の名前で畜産、加工、販売、外食産業に関連した、成功している企業を経営し、年商160億円を上回っています。

Part7

新田さんは先祖代々の水田を弟に譲り渡し、1953年わずか2頭のブタで養豚場を始めました。

たくさんの農業と同じように、豚肉市場は供給次第で値崩れすることがよくありました。

このことから新田さんは、価格に関しては他の養豚場とは競合しないで、品質の点で競争しようと決めました。

ヨーロッパからブタを輸入することを含め、何年にもわたる試行錯誤の末、新田さんは新しいタイプのブタを作出することに成功しました。

オランダ産のランドレース種と、アメリカ産のデュロック種と、鹿児島産のバークシャー種(黒豚)を使って「三元豚」と呼ばれる、名高いブタを作りあげたのです。

Part8

現代のビジネスでは、大きな強調が効率性に置かれますが、平田牧場に関しては、それは真相ではありません。

平田牧場は、効率性よりも品質に重要性を与えています。

ほとんどの養豚場が出荷する前、180日間ブタを育てるのに対して、平田牧場は約200日間かけて、ゆっくりと成長するブタを育てます。

さらに、ブタはストレスに対して強くないですから、ブタには大きくて広い生活空間が必要です。

驚くべきことに、平田牧場でのブタの飼料の10%以上はお米です。

これが、平田牧場の言う「日本で一番高価な豚肉」が作られる方法です。

Part9

ISOとHACCPのような品質保証制度によって裏付けされていますから、平田牧場の豚肉の価格は、安全性を考えれば納得のいくものです。

平田牧場は、安全な食品を開発するという長い歴史を持っています。

最近では、ほとんどの人が食品の安全性について気にしていますが、数十年前には、ほとんどの人が気にしていませんでした。

生活クラブ生協が安全な食品を要求し始めたとき、新田さんはその要求に応えようと努力しました。

新田さんは1971年に、無添加ソーセージに取り組み始めました。

当時、普通のお客さんは、発がん性物質であるソルビン酸や亜硝酸ナトリウムのことを知らなくて、白っぽい無添加ソーセージよりも人工的にオレンジ色に着色したソーセージの方を好んでいました。

1986年、ばい菌や感染症に対する予防策は言うに及ばず、真空パックの方法と輸送方式を改善した後で、日本初の完全無添加ソーセージが、東京の生活クラブ生協で販売されました。

Part10

和郷園と同じように、平田牧場の販売ルートは、平田牧場が価格を決めることができるお店に限られています。

新田さんは以前、ある巨大スーパーと取引をしたことがありましたが、長くは続きませんでした。

それは、そのスーパーが、明らかに傲慢に思え、供給価格を下げ続けたからでした。

これは今でも日本で、巨大企業と地方の零細工場の関係でよく見受けられることです。

後に、その巨大スーパーが莫大な赤字を出したのに対して、平田牧場は成功したビジネスモデルになってきているのは皮肉なことです。

Part11

アムール川を経由して、中国のハルビンと、ロシアのハバロフスクと、酒田市を結ぶ東方水上シルクロードを作るという、もう1つの注目すべき偉業を、新田さんは達成してきています。

これは不可能だと考えられていました。

最初の積み荷は1992年に、酒田港にやって来ました。

このルートのおかげで、私たちはロシアと中国でビジネスを行うチャンスをますますたくさん持てることでしょう。

Part12

新田さんは回想します。

「父が私が大学に進むのを許さなかったときには、自分に向かって自分の使命は何なのか見つけなければいけないと言い聞かせました――なぜ自分は生まれたのか、何を成し遂げるべきなのか。

私の使命は養豚場で働くことでした。

そして、日本で最高の養豚場を経営することが私の夢でした。私には夢のない人生は想像できません」

豚舎でブタと一緒に何百回も夜を過ごし、数えきれないくらいの経済危機を乗り越えてきた人は、確実に自分の使命を完成してきています。