旧PROMINENCE3年 和訳[303]

【プロミネンス3年】Lesson10/The Flight from Conversation【和訳】

このページではプロミネンス・コミュニケーション英語3年/Leeson10【The Flight from Conversation】の和訳を載せていますが、学校で習う表現と異なる場合がありますので、参考程度に見てください。

【PROMINENCE3】Lesson10/The Flight from Conversation【和訳】

Part1

私たちは、いつも情報を交換している科学技術の宇宙に住んでいます。しかし、単にネットにつながっておくために会話を犠牲にしてきています。



Part2

過去15年にわたって、私は携帯電話接続の技術を研究し、あらゆる年齢・環境の人たち何百人もと、ネットにつながっている生活について話をしてきています。

私たちのほとんどが持ち運ぶ小さい装置はとても強力なために、私たちが何をするのか(=人間の行動)だけではなく、私たちが誰なのか(=人のあり方)も変えているということがわかってきています。

Part3

私たちは、「一緒に1人っきりでいる」新しい方法に慣れてきています。

科学技術のおかげで、どこにいても、お互いに(→誰かお相手と)一緒にいることができます。

私たちは、自分の人生を自分専用のモノにしたいと思っています。

しかし、たとえお互いに絶えずつながっているとしても、結局、お互いから隠れることになる可能性があります。



Part4

自宅で、家族は一緒に座っていますが、メールを送ったり、チェックしたりしています。

大学のキャンパスを歩けば、キーボードと小さいタッチスクリーンに完全に夢中になって、自分の空想の世界にいる学生をよく目にします。

職場のみんなはメールに忙しすぎて会話を持てないから、職場には同僚がもういないと、あるビジネスマンは嘆きます。

ネットにつながっている静けさの中で、みんな、たくさんの人たちと交流することで慰められます―近すぎず、遠すぎない、ちょうどいい距離で。

Part5

メールを送って、チェックして、投稿することは、私たちがそうでありたい自己を提示させてくれます。

これは指先で触れるだけで編集したり、削除したりできるからです。

声や、皮膚や、顔や、体を修正することさえできます―多すぎず、少なすぎない、ちょうどいい量だけ。

Part6

人間関係は複雑です―人間関係はやっかいで、要求がきついものです。

私たちは、科学技術を使って人間関係を整理することを学んできています。

そして、会話からつながることへと移行する動きは、この一部です。

しかし、これは私たちが自分自身を不当に扱う過程なのです。

さらに悪いことに、時間をかけて徐々に、気にかけるのをやめ、オンラインでつながること本当の会話の間に違いがあることを忘れるように思えます。



Part7

人間を研究することと、科学技術と人の関係を研究することに費やしてきている年月の間に、私は「誰も、私の話を聞いていない」という感情をよく耳にします。

この感情は、なぜフェイスブックのページやツイッターの書き込みを持つことがそんなにも魅力的なのか説明するのに役立つと、私は信じています――フェイスブックもツイッターもどちらも、自動的にとてもたくさんの聞いてくれる人を提供してくれます。

そして、このことが(=ネット装置だけがどんな話でも聞いてくれることが)、あらゆる合理的な判断に逆らって、こんなにも多くの人が、自分のことを気にしてくれているように思える機械に向かって話しかけるのをいとわないのかを説明するのに役立ちます。

Part8

動物の赤ちゃんの形にデザインされたロボットを老人介護施設に持って行ったときのことです。

ご高齢の女性がこのロボットに自分の子供を失ったことについて語り始めたとき、私の研究の中で、最も心に残る経験の1つが訪れました。

ロボットは、その人の目を見つめているように見えました。

ロボットは、会話を理解できているように思えたのです。

女性は慰められました。

Part9

とても多くの人は、これは素晴らしいとわかりました。

この熱意は、私たちが(実際の)会話と、(ネットで他者と)つながっていることをどんなによく混同しているのかを物語っています。

しかし、なぜ、私たちは、人生の経験を一切持っていない機械に向かって、愛情や損失について話したいなんて思うのでしょうか?

私たちは、お互いのためにそこにいるには、自信を失いすぎているのでしょうか?



Part10

私たちはもっとたくさんのことを科学技術に期待し、お互いから多くを期待しません。関係を強要されないで仲間づきあいをしているという錯覚を与えてくれる科学技術にますます引きつけられるようです。

いつもつながっている、いつも自分につながっている装置は、3つの強力な幻想を与えてくれます――いつでも聞いてもらえるという幻想と、注意を集中させたいものなら何にでも集中できるという幻想、一人でいる必要がまったくないという幻想です。

実際に、新しい装置は、一人でいることを解決できる問題に変えてきています。

Part11

一人でいるときには、ほんの少しの間でさえ、人はそわそわして、装置に手を伸ばします。

この際、ネットにつながることは治療ではなく症状のように機能し、そして、つながりたいという私たちが抱く、絶え間ない、反射的な衝動は、存在の新たなカタチを作ります。

Part12

この状況を「我わける、ゆえに、我あり」だと考えてみましょう。

考えと感情を持っているときに(→何かを考え、何かを感じたときに)、その考えと感情をわかち合うことによって自分自身を定義するために科学技術を使うのです。

「今、何か感じるものがあるから、電話をかけたい」と以前は思ったものです。

今では私たちの衝動は「何か感じるものが欲しいから、メールを送らなきゃ」です。

Part13

それで、よりいっぱい感じるために、より気分がスッキリするために、ネットにつながるのです。

しかし、つながるのを急ぐあまり、孤独、すなわち、別々にいる能力から逃げて、集まるのです。

孤独に対する能力が欠如して、私たちは他の人に向き合うのですが、相手をそっくりそのまま、あるがままに経験するわけではありません。

私たちのますますもろい自己を支えてくれる予備の部品として、まるで私たちが相手を利用するように、相手に向かうのです。

Part14

絶え間なくネットにつながっていれば、孤独をあまり感じなくなるだろうと考えます。

しかし、その逆が真実です。

一人でいられないなら、孤独である可能性ははるかに高いのです。

子供たちに一人でいることを教えないなら、子供たちは孤独でいる方法しか知らないでしょう。

Part15

私は、会話を熱烈に支持します。

会話の機会を作るために、私にはいくつかの慎重な段階を踏む必要があります。

家では、私たちは神聖なスペースを作ることができます――キッチンと食事をする部屋です。車を「装置を置かない場所」にすることができます。

会話の価値を子供たちに示すことができます。職場でも同じ様に、同じことをすることができます。

職場では、私たちは情報交換するのに忙しすぎて、何が本当に大切なのかについてお互いに話し合う時間がたいていありません。

従業員たちは、カジュアル・フライデーを求めました。ひょっとすると今度は、経営者が「木曜日は会話の日」のシステムを導入すべきなのかもしれません。

とりわけ、メールを書いたり、チェックしたり、フェイスブックにアップする合間に私たちはお互いの話を聞くことを覚えておく必要があります。

編集できない瞬間、すなわち、ためらったり、どもったり、黙り込んだりする瞬間、お互いに正体を露呈する瞬間がよくあるために、いくぶん退屈な部分があっても聞く必要があることを忘れてはいけません。



Part16

私はケープコッドの別荘で夏を過ごすことにしています。

ソローがかつて歩いたのと同じ砂丘を、何十年もの間、歩いています。

そんなに遠くはない昔には、話をしながら、海、空、砂、それにお互いを眺めながら、みんな、頭を上げて歩いていました。

今では、たいてい、キーボードをたたきながら、頭を下げて歩きます。友人、パートナー、子供たちと一緒にいるときでも、みんな自分自身の装置にかかりっきりです。

Part17

ですから、私はお願いするのです。

顔を上げてください。お互いを見てください。そして、会話を始めましょう。