クラウン 3年 和訳[329]

【クラウン3年】Lesson2/God’s Hands【和訳】

このページでは高校クラウン・コミュニケーション英語3年/Leeson2【God’s Hands】の和訳を載せていますが、学校で習う表現と異なる場合がありますので、参考程度に見てください。

2019年に改定された教科書では「Lesson2」の内容です。
改定前の教科書では「Lesson3」の内容です。
改定前の教科書とは内容が少し異なっています。

【CROWN3】Lesson2/God’s Hands【和訳】

If you wish success in life, make perseverance your bosom friend, experience your wise counselor, caution your elder brother and hope your guardian genius.

-Joseph Addison(ジョゼフ・アディソン)

我慢を友とし、経験をカウンセラーとし、注意を兄とし、希望を導きの天才としなさい。

Before You Read

天野篤医師は日本で一番有名な心臓外科医の1人です。1983年、日本大学医学部を卒業した後、2002年に順天堂大学医学部に入る前に、いろいろな病院で働きました。

天野医師はこれまでに7000件以上の手術を、成功率98%で成し遂げてきています。

天野医師の優れた技術のおかげで、「神の手を持つ外科医」と呼ぶ人もいます。天野医師はこれは大きな誇張だと考えています。自分の成功は、熱心な努力と、不断の練習と、患者さんに対して抱く共感のおかげだと考えています。

彼は子供の頃から医学に興味を持っていたので、彼は高校時代に医者になることを決心しました。

このインタビューでは、天野医師はいろいろな経験について語っています。ご自身の入試での失敗、心臓手術の後でお父様を亡くされたこと、外科医としての技術を向上させるための努力、患者さんといい関係を築くことについてです。

 

Section1

いつ医師になるとご決心なさったのですか?

子供の頃、お腹をこわしたり熱を出すといつも必ず、母親は、たまたま親戚の1人だった小児科医のところに連れて行ってくれたものでした。

どういうわけか、その方が書いた医学関係の本と聴診器に惹かれていました。

しかし、医師になることを最初に考えたのは、高校生のときでした。

医師になるのは簡単なことではないのは、みんなわかっています。先生の場合はどうだったのでしょうか?

はい、私もその例外ではなかったと言わざるを得ません。

高校の時は、部活には一切入らず、しかも、入試に備えて塾に行ってさえいました。

でも、3年続けて失敗しました。

最終的に受け入れられたときには、もう21歳になっていました。

考えてみると、試験に失敗しても結局私には悪いことではありませんでした。

私はさらに医者になる決心をしました。

医学部で教育を受けた後で、医師になられました。ご卒業後のお仕事はいかがでしたか?

たくさんの友達が大学病院の医療スタッフとして仕事を始めました。

でも私は違った経歴を選びました。

患者さんともっとたくさん触れ合える総合病院で働きたいと思っていました。

そうすれば、外科医としての技術を向上できると考えました。

そして、総合病院での仕事を探し始め、数回断られた後でやっと何とか働き口を見つけることができました。

心臓手術の後でお父様を亡くされたそうですが、このことで外科医として何らかの形で影響を受けていらっしゃるのでしょうか?

はい、確実に影響しています。

父はずっと心臓病に苦しんでいて、2回手術を受けました。

私が31歳の時、父の状態はひどく悪くなったので、彼は人工弁を交換しなければなりませんでした。

私は父の手術を最初から最後まで見守りました。

しかし、手術中に、難しいことが次から次へと起こりました。

1週間後に、父は亡くなりました。66歳でした。



Section2

お父様をなくされたのは、さぞショックだったに違いありません。

ええ、本当にこたえました。

私が手術を行ったわけではないんですが、父の死には責任を感じざるをえませんでした。

と同時に、自分の人生を犠牲にして、外科医としてやってはいけないことを私に教えていると感じました。

私の手助けを必要とするたくさんの患者さんの命を救えるように、腕の立つ外科医になるために、出来ることは何でもする決心をしました。

病院での1日の仕事が終わった後で、夜通しずっと縫合の練習をしたものでした。

優れた外科医のことを聞くといつでも、その方の手術を見学するために会いに行きました。

十分に納得するまで、あらゆる種類の質問をしました。

その頃からずっと、私は外科医としてのスキルの向上を常に心がけてきました。

では、お父様の死から多くのことを学ばれたわけですね。

まさにその通りです。

ご存知の通り、ほんのささいなミスでさえも患者さんを危険にさらすことがあります。

これはたぶん、父から学んだ一番大切な教訓のうちの1つです。

お会いする患者さん一人ひとりの命に対して責任があることはわかっていますから、患者さんの命を救うために最善の努力を尽くします。

「手を抜いてはいけない。仕事をこなすだけだ」と心の中で思っています。

「妥協」という言葉は、私の辞書にはありません。

「神の手を持つ外科医」と呼ぶ人もいますが、これについてはどのようにお感じでしょうか?

そうですね、このたとえが私に当てはまるとは考えていません。

本当に必要なものは、神の手ではなく、手術前の入念な計画立案と、事態を計算し予測する能力です。

これまでに7000例を超える手術を行ってきていますが、この経験は、重大な時にどんな措置をとるべきなのかを私が予測するのに役立っています。

手術では、起こりうるどんな事態に対しても素早く正確に対応できるように、五感を十分に使うことが大切です。

Section3

毎日、深刻な心臓の状態の患者さんにお会いになっていて、お時間のうちほとんどを病院でお過ごしです。患者と良い関係を築くためにあなたは何をしていますか?

患者さんたちといい関係を確立し、そして、その結果として信頼をえることは、医師にとってとても大切です。

個人的には、患者さんの心音を聞くときには、聴診器を患者さんの胸に押し当てる前に、自分自身の手で温めておくようにしています。

そしてそれから、患者さんに違いを分かっていただけるように、私自身の心音をお聞かせしています。

医師としての自分と患者さんとの間の距離を縮めるために、こうしています。

手術のせいで命を落とすかもしれないとわかったうえで、患者さんは来てくださっているんだということを理解しなければいけません。

ですから、このような困難な決断をなさった方々を尊敬する気持ちになる必要があります。

「出る杭は打たれる」とよく言われます。世界でトップの心臓外科医のお一人として、今までに「打たれ」たことはおありでしょうか?

そうですね、今おっしゃたことわざは、ほんの1部分だけ真実だと言えるでしょう。

杭が打たれる場合も確かにあるでしょうが、それはほんの少ししか出ていない場合だけです。

杭が他の残りの杭よりもはるかに大きく出ている場合には、絶対に打たれないものです。

そのようにして、若い意欲あふれる外科医たちを励ますことができればと思っています。

ちょうど良いではいけません。

最高であろうとしてください。

ライバルはいらっしゃるのでしょうか? もしかしてブラック・ジャックとか?

大鐘おおがね 稔彦としひこの描いた漫画の主人公・当麻鉄彦とうまてつひこの名前を挙げておきましょう。

当麻はなぜだか、かつて若く意欲に燃えていた外科医だった私を思い出させてくれます。

最良の手術を行うことによって、患者さんとご家族を幸せにするために、当麻はベストを尽くします。

ライバルというよりむしろ、おそらく当麻は、私がそうありたいと願うような種類の外科医の理想的なイメージです。



Optional Reading『The Patient Always Comes First』和訳

常に患者さん第一

天野医師は外科医として抜群の技術を持っています。しかし、医師として成功する他の方法もあります。

外科医としての仕事を続けたいと思ったもう1人の医師がいます。学生の頃、ラグビーをしていて何回も骨折しました。このことが外科医になる意欲を起こさせました。1987年、医学部を終えて、病院の研修医になりました。「研修医としての訓練はまるで地獄のようでした。普通なら10分しかかからないような簡単な手術をするのに1時間以上かかったんです。私には外科医になる技能がただ単に欠けていたんです」と思い返します。あるとき、手術の助手だったときに同僚の1人が、バカにしてこう言いました。「君は助手じゃない。抵抗する人だ(お前は山中じゃなくて、ジャマ中だ)」と。

しかし、この臨床経験は、たとえ最高の医師でも治療できない病気やケガがたくさんあるということを教えてくれました。先進医療が適切な治療を提供できない患者さんを助けるためには、医療の基礎研究が必要だと悟りました。1993年、合衆国に渡りました。患者さんを治療するのをやめて、研究に関心を向けたのです。

ほぼ20年経って、2012年に、この医師は、人工多能性幹細胞(iPS細胞)の開発に対してノーベル生理学・医学賞を授かりました。iPS細胞は体の組織のどんなタイプにでも成長する可能性を持つ幹細胞です。この医師の名前は京都大学の山中伸弥教授です。山中さんはこう言います。「私は責任を強く感じています。医師としてこれまで1人として命を救うことができてはいないのですから。医学の目的のために私たちの大発見を使いたいと切に思っています」

しかし、iPS細胞の開発は、いろんな病気への万能薬を即座に提供するわけではありません。5ないし10年は更なる研究に時間がかかるかもしれません。しかし、山中さんは「私は患者さんたちに希望を捨てないでほしいと思っています」と言います。天野医師と山中医師は別々の道を歩みましたが、2人は同じモットーを共有しています――「常に患者さん第一」です。