クラウン 1年 和訳[333]

【クラウン1年】Lesson8・Optional Reading/Images from the Trunk【和訳】

このページではクラウン・コミュニケーション英語1年/Leeson8のオプショナルリーディング【Images from the Trunk】の和訳を載せていますが、学校で習う表現と異なる場合がありますので、参考程度に見てください。

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【Lesson8】Optional Reading/Images from the Trunk【和訳】

トランクの中に封じ込められた記憶は、1989年、再び日の光を見ることになりました。トランクのカギを開けることを決意したジョー・オダネルさん。重大な決意の裏には、どんな想いがあったのでしょう。

ョー・オダネル(1922-2007)は原爆によって破壊された後に広島と長崎に訪れた最初の外国人の一人だ。
彼は23歳の海兵隊軍曹で、原爆の影響を文書に残すように任命された。
彼は1945年9月から1946年3月の7ヶ月間を日本で過ごし、壊滅した都市を写真に納めた。

メリカに帰った後、オダネルはホワイトハウス写真家としての新しい人生を始めた。
彼は日本からの写真を持ってきたが、トランクに入れて屋根裏に置き、決して開けないと決めた。
トランクは屋根裏の左のほうにあったが、オダネルの長崎と広島の記憶は彼の脳裏にこびりついている。
1989年、彼はもはや自分の感情から逃げられなかった。彼はトランクを開けることを決心した。
写真を見ている間、彼は核戦争のおぞましさを自ら声明を出さなければと決心した。
彼はこう言う:

「勘違いをしないでください。私はアメリカ人です。私は祖国を愛しています。国のために戦いました。しかし、我が国が他国に正義を行うならば、私は声を上げねばなりません。退役軍人は私のことを理解していません。私はそこにいました。広島と長崎の灰を中を歩きました。日本人兵士は中国や日本や朝鮮やあらゆる国でひどいことをしました。しかし小さな子供は何もしていないことを理解できるでしょうか?私の声明はこのことを言うためです。子供や母親は戦勝のために死に値する人間ではありませんでした。1945年には正しいことではありませんでした。2045年になっても正しいこととはならないでしょう。決して正しいことにはなりません。決して正しいことにはならないのです。歴史は繰り返すものであるが、このことは繰り返してはなりません。」

ダネルが70代のとき、展示会で写真を見せるため日本に訪れる機会があった。その写真は欧米で展示された。彼は85歳で亡くなる2007年8月9日まで自らの役目を果たし続けた。